
ポール・シュレイダー監督『MISHIMA: A Life in Four Chapters』(1985)のサウンドトラックは、フィリップ・グラスの映画音楽の中でも最も成功した作品の一つである。三島由紀夫という題材の重さと、グラスのミニマル・ミュージックが奇跡的な化学反応を起こしている。
グラスの音楽語法である反復、漸進的変化、アルペジオの連鎖は、本作において単なる様式ではなく、三島の強迫観念そのものの音楽的等価物として機能している。冒頭の「Opening」では、弦楽器の執拗な反復が、まるで三島の内面に巣食う美と死への衝動を可聴化したかのようだ。このモチーフは作品全体を通じて回帰し、変奏され、増幅されていく。
特筆すべきは、グラスがオーケストラを用いながらも、彼特有のミニマリズムの純度を保っている点だ。『Koyaanisqatsi』(1982)では電子音響とオーケストラの融合を試みたグラスだが、『MISHIMA』では完全にアコースティックなアンサンブルに回帰している。弦楽、木管、金管、打楽器が織りなすテクスチャーは、密度が高いにもかかわらず透明であり、各声部の動きが明瞭に聴き取れる。
「1962: Ichigaya」などの楽曲では、マーチのリズムが執拗に反復される。これは三島が組織した「楯の会」の軍事的儀式性を想起させるが、同時にグラス的な反復の美学とも重なる。音楽は行進するが、どこにも到達しない。この円環的な運動こそが、三島の閉じられた世界観、美的完成を求めながら、その完成が常に死を意味するを音楽的に表現している。
「Kyoko’s House」では、グラスの鍵盤楽器の書法が際立つ。アルペジオの連鎖は水が流れるように絶え間なく続くが、その中で和声が微妙に変化していく。この手法は『Einstein on the Beach』(1976)で確立されたものだが、『MISHIMA』ではより劇的な文脈に置かれることで、新たな意味を獲得している。アルペジオの反復は、三島の小説世界における言葉の装飾性、過剰な修辞、絢爛たる描写の音楽的対応物なのだ。
グラスの音楽が持つもう一つの重要な特質は、感情を直接的に表現しない点である。ハリウッド的な映画音楽が、場面の感情を増幅し、観客に涙や興奮を促すのに対し、グラスの音楽は距離を保つ。それは冷たいというよりも、瞑想的である。「Temple」では、繰り返されるモチーフが時間の経過とともに微妙に変容していくが、その変化は劇的なクライマックスへと向かうのではなく、ただ持続する。この非目的論的な時間性は、三島の美学─刹那の永遠化、死による時間の停止と深く共鳴している。
録音の音質も素晴らしい。1985年のアナログ録音は、デジタル以前の豊かな倍音成分を保持している。特に弦楽器のテクスチャーは、デジタル録音では得られない柔らかさと奥行きを持っている。このLPを針で再生することで、グラスが意図した音響空間が立体的に立ち上がる。
最終楽章「Closing」は、映画のラストシーンである三島の割腹自殺に重ねられる音楽だが、グラスはここでも感傷を拒否する。音楽は静かに、しかし確固として持続し、やがて沈黙へと溶け込んでいく。それは死の荘厳さでも、悲劇の嘆きでもなく、ただ終わりという事実の提示である。
このサウンドトラックは、ミニマル・ミュージックと日本的主題の稀有な出会いであり、グラスの映画音楽の中でも特異な位置を占めている。三島由紀夫という題材の重さに潰されることなく、グラスは自身の音楽語法を貫徹した。その結果生まれたのは、反復と変容、美と死、時間と永遠という三島的テーマを、純粋に音楽的な形式で表現した傑作である。



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