【第3063回】30歳、無目的な男の物語:チャールズ・バーネット『マイ・ブラザーズ・ウェディング』作品評

旧作評


25年の沈黙を経て蘇った悲喜劇 階級の分断と未成熟な男の選択

チャールズ・バーネットの『マイ・ブラザーズ・ウェディング』(1983/2007)は、『キラー・オブ・シープ』に続く第2作として、予算8万ドル(前作の8倍)で製作され、バーネットの全国的な評価を確立するはずだった。しかし、1983年、編集未完成のラフカット版が製作者によって強引にニューヨークの映画祭に出品され、『ニューヨーク・タイムズ』のジャネット・マスリンから「演技はアマチュアで、演出は硬直的」と酷評された。配給会社は手を引き、本作は公開されることなく25年間封印された。批評家アーモンド・ホワイトはこれを「アメリカ大衆文化の発展にとって破滅的な打撃」と呼んだ。2007年、Milestone Filmsがバーネットに編集を完成させる機会を与え、Pacific Film Archiveによって修復された本作は、ようやく世に出た。そして明らかになったのは、知恵と笑いと悲しみに満ちた、時代を超えた傑作の存在だった。

30歳、無目的な男の物語

主人公ピアース・マンディ(エヴェレット・サイラス)は30歳。南ロサンゼルスの両親が経営するドライクリーニング店で働いている。未来への展望はなく、幼馴染の多くは刑務所か墓の中だ。弟ウェンデル(モンテ・イースター)は弁護士となり、裕福な中流階級の女性ソニア(ゲイ・シャノン=バーネット)と結婚しようとしている。一方、親友ソルジャー(ロニー・ベル)は刑務所から出所したばかりだ。ピアースは、上昇志向の弟の世界と、犯罪と貧困に満ちた親友の世界の間で引き裂かれる。バーネット自身の言葉によれば、本作は「責任」についての映画だ。ピアースは常に他人のために何かをするが、自分自身の目標を持っていない。彼は「社会的に胚段階を超えて発達していない」。

結婚式か葬式か、究極の選択

物語のクライマックスは、タイトルが示す通り、ピアースが弟の結婚式に出席すべきか、それとも親友の葬式に行くべきかという選択を迫られる場面だ。この二項対立は、単なる予定の重複ではなく、階級、忠誠、アイデンティティの問題を凝縮している。ソニアとその家族は、ピアースが軽蔑する偽善的な黒人中流階級を代表する。「あなたはここから来たのよ(This is where ya came from!)」という世界と、新しい黒人中流階級の世界。ピアースはどちらにも完全には属せない。そして彼は、決断を下すことに失敗する。その失敗こそが、本作に「強烈な社会ドラマの苦い余韻」を与える。

階級の分断とブラック・コミュニティ

本作の核心にあるのは、1980年代初頭の黒人コミュニティ内部の階級分断だ。公民権運動後、一部の黒人は中流階級へと上昇したが、多くは貧困の中に取り残された。ウェンデルは成功した。ピアースは取り残された。ソルジャーは犯罪者になった。バーネットは、この分断を道徳的に単純化しない。ウェンデルは悪人ではなく、ソルジャーは聖人ではない。ピアースは善人だが、無能でもある。この複雑さこそが、本作を説教ではなく、人間ドラマにしている。

悲喜劇としての構造

バーネット自身が本作を「悲喜劇(tragicomedy)」と呼ぶように、ユーモアと悲しみが常に隣り合わせに存在する。ドライクリーニング店でのピアースと母親(ジェシー・ホームズ)のやり取りは、怒りと困惑と愛情が入り混じり、時にコメディのように、時にドラマのように機能する。結婚前の夕食会のシーンは、ソニアの家族の偽善を戯画的に描くが、同時にピアースの無礼さも浮き彫りにする。笑いは、常に不快さを伴う。そしてその不快さこそが、本作のリアリズムを支えている。

撮影の困難と製作の悲劇

本作は、ドイツのテレビ局からの資金提供を一部受けて製作されたが、最終的にバーネットを破産に追い込んだ。エヴェレット・サイラスの演技はバーネットを苦しめたと言われるが(撮影中、サイラスは困難な俳優だったという)、結果として、彼のボディランゲージと話し方は「自分の道を見つけられない男」を完璧に体現している。非職業俳優たちの演技は、時に硬く不自然だが、それがかえって真実味を生む。特にピアースの母親を演じるジェシー・ホームズは、怒り、困惑、悲しみの複雑な混合を体現する素晴らしい演技を見せる。

2007年版の編集、35分の短縮

2007年、バーネットは本作を再編集する機会を得た。驚くべきことに、彼はオリジナルの115分版から35分を削除し、80分版を完成させた。「時に、少ない方が多い」ことを理解した監督の例として、これは稀有だ。しかし、削除できなかったのは、多くの不出来な演技だった。サイラスは素晴らしいが、他の多くの俳優は硬直し、ひどい演技をしている。脚本にも粗さがある。しかし、状況設定は巧みで、ピアースが次々と悪い選択をする姿を見ることは、苛立たしくも愛おしい。

『キラー・オブ・シープ』との比較

『キラー・オブ・シープ』と比較されることは避けられない。前作が白黒16mmの詩的なヴィネットの連鎖だったのに対し、本作はカラー撮影で、より伝統的な物語構造を持つ。しかし、両作に共通するのは、バーネットの「テクスチャーへの持続的な嗜好と眼差し」だ。批評家K・オースティン・コリンズが指摘するように、「このフレームには、どのショットにも、しわ、格子、パターンがあり、それが他の滑らかさから際立ち、映画に官能的で示唆的な粗さを与えている」。これは教えられるものではない。バーネットの固有の才能だ。

コミュニティへの眼差し

本作の特別な点の一つは、ピアースを取り巻くコミュニティへの鋭い感覚だ。バーネットは、背景空間やショットの周縁を動く脇役たちに観客の注意を向けさせる。たとえ彼らが主要な物語に関与しなくても。これはジャン・ルノワール的な「人々の映画、顔とコミュニティの映画」への献身だ。デイヴ・カーがバーネットをルノワールと比較するのは、この点で非常に的確だ。両者とも、形式的冒険心を持ちながら、基本的には人間を創造することに専心している。

「アメリカ独立映画の静かな啓示」

Criterionの解説が本作を「アメリカ独立映画の静かな啓示」と呼ぶのは、誇張ではない。本作は、周囲のポップカルチャーの気候に反対して(そして大部分はそれにもかかわらず)構想され製作された、アメリカ独立映画の一つの系譜を代表する。ハリウッドの商業主義が支配する1980年代において、バーネットは自分のコミュニティの物語を、自分の美学で語ることを選んだ。その結果は、配給会社に拒絶され、25年間埋もれたが、それでもなお、時代を超えて響く作品となった。

LA Rebellionの遺産

『マイ・ブラザーズ・ウェディング』は、LA Rebellionムーブメントの重要な作品として位置づけられる。『キラー・オブ・シープ』が運動の金字塔だとすれば、本作はその継続であり、発展だ。白黒からカラーへ、詩的断片から物語構造へ。しかし、変わらないのは、黒人の日常を、ステレオタイプなしに、親密さと複雑さを持って描くという献身だ。

結論 未完成が完成した時

『マイ・ブラザーズ・ウェディング』は、二度生まれた映画だ。1983年、未完成で生まれ、批評家に殺された。2007年、バーネットの手によって再生され、ようやく真の姿を現した。それは、階級の分断、友情と家族、責任と未成熟、選択の重さについての、知恵と笑いと悲しみに満ちた物語だ。完璧な作品ではない。演技は時に硬く、脚本は時に粗い。しかし、それでもなお、本作は「時代を超えて必要」な作品だ。なぜなら、ここに描かれているのは、1980年代のロサンゼルスだけでなく、いつの時代にも存在する、成長できない男たちと、彼らを支えるコミュニティの姿だからだ。そしてバーネットは、彼らを愛情を持って、しかし容赦なく、スクリーンに刻み込んだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました