【第3055回】家族という名の監獄:長谷川和彦『青春の殺人者』 作品評

旧作評
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2026年1月31日、長谷川和彦監督が誤嚥性肺炎による多臓器不全のため80歳で逝去した。訃報を受けて、久しぶりに『青春の殺人者』(1976年)を再見した。初見から何年経っただろうか。あの時感じた戦慄が、今も変わらず画面から立ち上ってくる。いや、むしろ年を重ねたことで、この映画の持つ残酷さと諦念が、より深く胸に突き刺さるようになった。

長谷川和彦が撮った映画は、生涯でたった2本である。デビュー作である本作と、3年後の『太陽を盗んだ男』(1979年)。それだけで、彼は日本映画史に消えない足跡を残した。しかし、その後47年間、彼は一本も映画を撮ることができなかった。「期待をことごとく裏切り続けた」伝説の監督。その伝説の始まりが、この『青春の殺人者』である。

同心円状に追い詰められる家族の物語

物語は極めてシンプルだ。横浜郊外の団地に暮らす父(殿山泰司)、母(原田美枝子の実母・原田典子)、長男ジュロ(水谷豊)、次男の4人家族。父は青年時代に戦争を経験し、戦後は町工場の労働者として家族を養ってきた。しかし、ある事件をきっかけに、この平凡な家族は狂気の渦に巻き込まれていく。

長谷川和彦が本作で用いた構造は、「同心円」である。冒頭、画面には同心円状の図形が映し出される。そして、物語もまた同心円のように、家族という最小単位から始まり、徐々に外側へ、そして再び内側へと収斂していく。長男ジュロは、家族という閉じた円の中で窒息しかけている。父は暴力的で、母は無力で、弟は無関心だ。ジュロは、この円から逃れようとするが、逃れれば逃れるほど、より深く円の中心へと引き戻されていく。

この同心円構造は、単なる視覚的なモチーフではない。それは、戦後日本社会そのものの構造でもある。高度経済成長期、団地という箱の中に詰め込まれた核家族。父親は会社のために働き、母親は家庭を守り、子供は良い学校に入るために勉強する。この「正しい」生き方を強制する社会の圧力が、同心円のように家族を締め付けていく。

水谷豊という爆弾 未成熟な身体が放つ狂気

当時21歳だった水谷豊が演じるジュロは、後の「相棒」の杉下右京とは似ても似つかない、危うく、未成熟で、破滅的な青年である。彼の身体は、まだ大人になりきっていない。顔つきは少年のようで、声も高く、しかし目だけが異様に暗い。この不均衡な存在感が、ジュロという人物の危うさを体現している。

ジュロは、ある日突然、父親を刺し殺す。理由は明確ではない。父親の暴力に耐えかねたのか、それとも別の何かが引き金になったのか。長谷川和彦は、明確な動機を示さない。ただ、ジュロの内側に蓄積されていた何かが、ある瞬間に爆発したのだ。

殺人の後、ジュロは逃走する。しかし、彼が逃げ込んだのは、社会の外側ではなく、別の家族の内側だった。彼は見知らぬ家に侵入し、そこにいた少女(原田美枝子)を人質に取る。この少女もまた、抑圧的な家族の中で息を潜めて生きている。ジュロと少女は、互いの孤独を認識するが、救い合うことはできない。彼らはただ、同じ円の中に閉じ込められているだけだ。

殿山泰司という怪物 戦争の記憶を背負った父親

昨日、久しぶりに本作を見返して、改めて殿山泰司の凄まじさに圧倒された。彼が演じる父親は、暴力的で、粗野で、しかし同時に哀れである。彼は戦争を経験し、戦後の混乱を生き延び、町工場で働き続けてきた。しかし、その努力は何も報われない。息子たちは彼を尊敬せず、妻は彼を恐れている。

殿山泰司の身体は、戦後日本の矛盾を体現している。彼は「強い父親」であろうとするが、実際には何も持っていない。彼の暴力は、無力感の裏返しである。彼が息子を殴るとき、それは息子を憎んでいるからではなく、自分自身の無力さを認めたくないからだ。

殿山の演技は、過剰なまでに生々しい。彼が酒を飲み、怒鳴り、暴力を振るう場面は、見ているだけで息が詰まる。しかし、それは演技の巧さというよりも、殿山泰司という俳優が持つ存在の重さである。彼は、ただそこにいるだけで、戦後日本の重みを背負っている。

原田美枝子という光 しかし救済はない

原田美枝子が演じる少女は、ジュロに人質に取られるが、次第に彼に共感していく。彼女もまた、抑圧的な家族の中で生きており、ジュロの孤独を理解する。二人は、束の間の親密さを共有するが、それは決して救済にはならない。

原田美枝子の存在は、本作において唯一の「光」である。しかし、その光は弱く、儚い。彼女がジュロを救うことはできないし、ジュロもまた彼女を救うことはできない。二人はただ、同じ暗闇の中で、互いの顔をかろうじて見つめ合っているだけだ。

原田美枝子は、この2年後に大島渚『愛のコリーダ』で衝撃的な演技を見せるが、本作での彼女はまだ17歳である。その未成熟さが、逆にこの役に説得力を与えている。彼女は、まだ大人になっていない。だからこそ、ジュロの狂気に引き寄せられてしまう。

長谷川和彦の演出 異常なまでの緊張感

長谷川和彦の演出は、一見すると静かである。派手なカメラワークもなければ、過剰な音楽もない。しかし、画面には異常なまでの緊張感が張り詰めている。それは、長谷川が「何かが起きる」という予感を、執拗に観客に刷り込むからだ。

例えば、団地の廊下を歩くジュロを捉えたショット。カメラは彼を追わず、ただ固定されている。ジュロが画面の端から端へと歩いていく。それだけのショットなのに、見ている側は息を詰めてしまう。何かが起きるのではないか。そういう予感が、画面に満ちている。

また、長谷川は「音」の使い方が巧みである。団地の中で響く生活音、遠くから聞こえるサイレン、風の音。これらの音が、日常の中に潜む狂気を浮かび上がらせる。長谷川は、日常そのものが既に異常であることを、音によって示している。

キネ旬ベストワンの衝撃 新人監督の快挙

本作は、1976年度のキネマ旬報ベストワンに選出された。新人監督作品がベストワンに選ばれるのは異例中の異例である。それほどまでに、本作は批評家たちに衝撃を与えた。しかし、興行的には失敗だった。観客は、この重苦しく、救いのない映画を受け入れなかった。

しかし、本作の価値は、時間が経つにつれて再評価されていった。2012年の「オールタイムベスト・日本映画編」では、1970年代日本映画のトップに選ばれている。それは、本作が単なる「問題作」ではなく、時代を超えた普遍性を持つ作品だからである。

昨日、長谷川和彦の訃報を聞いて、改めて本作を見返した。そして、この映画が今もなお生々しく、痛々しく、そして美しいことに気づいた。長谷川和彦は、この一本で、家族という名の監獄を、青春という名の狂気を、戦後日本という名の同心円を、完璧に描き切った。

たった2本で日本映画史に刻まれた足跡

長谷川和彦は、その後『太陽を盗んだ男』を撮り、そして沈黙した。村上龍が5本の脚本を書いたが、長谷川は一本も採用しなかった。『笑う原爆』という企画もあったが、実現しなかった。彼は、「撮りたい映画」しか撮らなかった。いや、「撮れる映画」がなかったのかもしれない。

しかし、たった2本で、長谷川和彦は日本映画史に消えない足跡を残した。『青春の殺人者』は、今も多くの映画作家に影響を与え続けている。その同心円構造、その狂気の描写、その救いのなさ。これらは、後の日本映画に確実に受け継がれている。

2026年2月3日、長谷川和彦の葬儀が行われ、喪主は女優の室井滋が務めた。彼女は長谷川の教え子であり、彼の才能を最後まで信じ続けた一人である。長谷川和彦は、映画を撮れなかった47年間、何を考えていたのだろうか。撮れなかった映画の幻影を、どれほど追い続けていたのだろうか。

結論 家族という監獄からの脱出は不可能である

『青春の殺人者』が突きつけるのは、「家族という監獄からの脱出は不可能である」という残酷な真実である。ジュロは父親を殺し、家から逃げ出すが、結局は別の家族の中に閉じ込められる。同心円の外に出ようとすればするほど、彼はより深く円の中心に引き寄せられていく。

この構造は、現代においても変わらない。私たちは、家族という最小単位の中で生まれ、その円の中で育ち、そしてその円から逃れることができない。逃れようとすれば、別の円に閉じ込められる。長谷川和彦は、この逃れられなさを、47年前に完璧に描き切った。

昨日、久しぶりに本作を見返して、改めて長谷川和彦の才能の凄まじさを思い知った。同時に、彼がその後一本も映画を撮れなかった無念を思った。しかし、彼はこの一本で、充分すぎるほどのものを残した。『青春の殺人者』は、永遠に日本映画史に刻まれる傑作である。

長谷川和彦監督のご冥福を心よりお祈りします。

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