直線という迂回路  デイヴィッド・リンチ『ストレイト・ストーリー』が描く最も遠い和解への旅

旧作評
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シネマカリテで最終日に観た

リンチ映画史上最大の異端

デイヴィッド・リンチが1999年に撮った『ストレイト・ストーリー』(The Straight Story)は、彼のフィルモグラフィの中で最も異質な作品だ。『イレイザーヘッド』(1977)の悪夢的な産業風景、『ブルーベルベット』(1986)の郊外に潜む狂気、『ツイン・ピークス』(1990-91)の森の中の暗黒、『ロスト・ハイウェイ』(1997)の精神分裂。これらリンチ作品に慣れ親しんだ観客にとって、『ストレイト・ストーリー』は衝撃だった。

なぜなら、この映画には暴力がない。セックスもない。悪夢もない。赤いカーテンの部屋も、不気味な小人も、切断された耳も登場しない。代わりに描かれるのは、73歳の老人アルヴィン・ストレイト(リチャード・ファーンズワース)が、時速8キロの芝刈り機に乗って、アイオワ州からウィスコンシン州まで約400キロを6週間かけて移動する、ただそれだけの物語だ。

しかしこの「ただそれだけ」の中に、リンチのすべてが凝縮されている。『ストレイト・ストーリー』は異端ではない。むしろリンチ映画の核心だ。ただその核心が、これまでとは全く違う形で提示されているだけだ。

実話という制約、G指定という挑戦

『ストレイト・ストーリー』は実話に基づいている。1994年、実在のアルヴィン・ストレイトが、10年間絶縁していた兄ライルに会うため、芝刈り機で旅をした。ニュースになったこの出来事を、リンチと脚本家ジョン・ローチ、メアリー・スウィーニーが映画化した。

さらに重要なのは、この映画がディズニー配給で、G指定(全年齢対象)を受けたことだ。リンチがディズニーと組む。この組み合わせは、『イレイザーヘッド』でミュータントの赤ん坊を育てる悪夢を撮った監督が、今度は老人の心温まる旅を撮る、という奇妙な対照を生んだ。

しかしリンチは、この制約を創造的に利用した。G指定だからこそ、リンチは暴力やセックスという「わかりやすい」手段を使えない。代わりに彼は、風景、沈黙、時間の経過という、より根源的な映画的要素に集中した。結果として『ストレイト・ストーリー』は、リンチの最も「純粋な」映画になった。

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芝刈り機という乗り物 時速8キロの映画言語

アルヴィンが乗る芝刈り機は、1966年製のジョン・ディア社製だ。最高速度は時速8キロ。現代の自動車が時速100キロで移動する世界で、時速8キロは驚異的に遅い。しかしこの遅さが、映画の核心だ。

リンチのカメラは、芝刈り機と同じ速度で移動する。急がない。追い越さない。ただ後ろからついていく。この遅さによって、観客は強制的にアルヴィンのリズムに同調させられる。我々は時速8キロで、アイオワの風景を見る。道路脇のトウモロコシ畑、夕暮れの空、夜空の星。これらは時速100キロでは見えない。時速8キロだからこそ、見える。

芝刈り機はまた、アルヴィンの身体性を表現する装置でもある。彼は視力が悪く、歩行困難で、糖尿病を患っている。普通の車の運転免許は剥奪されている。芝刈り機は、彼が移動できる唯一の手段だ。つまり芝刈り機は、老いた身体そのものの隠喩だ。遅く、不安定で、いつ壊れるかわからない。しかし動く。前に進む。

リンチは、この芝刈り機を美しく撮る。朝日を浴びて進む芝刈り機。丘を越える芝刈り機。夜、ヘッドライトだけで闇を進む芝刈り機。これらのショットは、『ブルーベルベット』の切断された耳や、『ツイン・ピークス』の死体と同じく、リンチ的な「イメージの暴力性」を持っている。ただし、それは美しい暴力だ。

シシー・スペイセクの沈黙 言葉にならない愛の表現

アルヴィンの娘ローズを演じるシシー・スペイセクは、言語障害を持つ設定だ。彼女は言葉をうまく発音できない。だから多くの場面で、彼女は黙っている。ただ父親を見つめる。

リンチは、この沈黙を最大限に活用する。映画冒頭、アルヴィンが家の中で倒れる。ローズが発見し、助けを呼ぶ。しかし彼女の叫び声は、言葉として聞き取れない。ただ音として響く。この音は、恐怖と愛が混ざった、原初的な声だ。

ローズは過去に、自分の子供たちを育てる能力がないと判断され、親権を剥奪されている。この設定は映画の中で直接的には語られないが、スペイセクの演技から滲み出る。彼女がアルヴィンを見る目には、失われた母性が注がれている。アルヴィンは娘にとって、父親であると同時に、彼女が育てられなかった子供たちの代替物でもある。

アルヴィンが旅に出る朝、ローズは芝刈り機を見送る。彼女は泣いている。しかし言葉を発さない。ただ手を振る。このシーンで、リンチのカメラはローズの顔を長く映す。涙が頬を伝う。しかし彼女は笑っている。この笑顔と涙の共存が、言葉では表現できない複雑な感情を伝える。

スペイセクは『キャリー』(1976)で超能力を持つ少女を演じ、一躍有名になった。『炎の少女チャーリー』(1984)でも超能力者を演じた。しかし『ストレイト・ストーリー』の彼女には、超能力はない。ただ沈黙という、映画における最も強力な力がある。

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出会いと別れの反復 道路という告解室

アルヴィンの旅は、様々な人々との出会いで構成されている。妊娠した家出少女。第二次世界大戦の退役軍人。自転車で旅をする若者たち。彼らは皆、アルヴィンと短い時間を共有し、そして去っていく。

重要なのは、これらの出会いがすべて「告解」の構造を持つことだ。人々はアルヴィンに、自分の人生を語る。アルヴィンは聞く。そして自分の人生も語る。しかしこの告解には、赦しも裁きもない。ただ語り、聞くだけだ。

退役軍人とのシーンが最も印象的だ。二人は焚き火を囲んで座る。戦争の記憶を語る。アルヴィンは狙撃手だった。戦友を誤射で殺した。この罪は、60年経っても消えない。退役軍人も同じだ。彼らは涙を流す。しかし泣き終わると、また沈黙する。

リンチは、この沈黙を長く撮る。焚き火の音。虫の声。風の音。これらの環境音が、言葉よりも雄弁に、二人の共有する痛みを表現する。『ツイン・ピークス』でリンチが使った「不気味な静寂」は、ここでは「癒しの静寂」に変容している。

道路は、アルヴィンにとって告解室だ。そして芝刈り機は、移動する教会だ。時速8キロで進むことで、アルヴィンは人々に出会い、語り、聞く。この反復が、彼自身を少しずつ変えていく。

兄との再会 言葉なき和解の完璧な描写

映画の最後、アルヴィンはウィスコンシン州の兄ライルの家に到着する。二人は10年間、絶縁していた。理由は明かされない。ただ「些細な喧嘩」とだけ語られる。

ライルを演じるハリー・ディーン・スタントンは、リンチ作品の常連だ。『ワイルド・アット・ハート』(1990)、『ツイン・ピークス ファイアー・ウォーク・ウィズ・ミー』(1992)、そして後の『インランド・エンパイア』(2006)。彼の顔は、リンチ的な「老い」を体現している。深い皺、落ち窪んだ目、痩せた身体。

ライルは家の中から出てくる。アルヴィンは芝刈り機の上に座ったまま、彼を見る。二人は言葉を交わさない。ただ見つめ合う。そしてライルは、ゆっくりと兄の元に歩み寄る。

このシーンには音楽がない。台詞もない。ただ二人の老人が、夕暮れの光の中で向き合う。リンチのカメラは、二人の顔を交互に映す。そして夜空を見上げる。流れ星が落ちる。

この沈黙の再会は、映画史上最も美しい和解のシーンの一つだ。なぜなら、何も語られないからだ。許しも謝罪も、説明もない。ただ兄が弟の元に来た、という事実だけが存在する。そしてこの事実が、すべてを語る。

時速8キロの暴力性 遅さが暴く資本主義の狂気

『ストレイト・ストーリー』は、一見穏やかな映画だ。しかしその穏やかさは、逆説的に暴力的だ。なぜなら時速8キロという速度は、現代社会の速度に対する根本的な批判だからだ。

アルヴィンが道路を進む時、後ろには車の列ができる。運転手たちはイライラする。クラクションを鳴らす。追い越していく。彼らは時速100キロで移動したい。しかしアルヴィンは時速8キロでしか進めない。この速度差が、摩擦を生む。

リンチは、この摩擦を淡々と撮る。怒る運転手たちを非難しない。しかしアルヴィンも批判しない。ただ、二つの異なる時間が衝突する瞬間を記録する。そしてこの衝突によって、我々は気づく。時速100キロで移動することが、いかに異常か。時速8キロが、実は人間本来の速度ではないか。

『イレイザーヘッド』でリンチが描いたのは、産業社会の悪夢だった。機械の音、工場の煙、非人間的な空間。『ストレイト・ストーリー』は、その対極にある。しかし実は同じテーマを扱っている。人間と機械の関係。速度と時間。近代化がもたらした疎外。

アルヴィンの芝刈り機は、反=近代の象徴だ。それは遅く、非効率で、経済的に無意味だ。400キロを6週間かけて移動するより、バスか電車を使えば数時間で着く。しかしアルヴィンは、あえて芝刈り機を選ぶ。この選択が、資本主義的合理性への静かな抵抗になっている。

結論 リンチ最大の愛の映画

『ストレイト・ストーリー』は、デイヴィッド・リンチが撮った唯一の「普通の」映画だと言われる。しかしこれは誤解だ。この映画は、リンチの最も「リンチ的な」映画だ。ただその「リンチ性」が、暴力やセックスではなく、沈黙と風景と時間によって表現されているだけだ。

リンチのすべての映画は、愛についての映画だ。『ブルーベルベット』の歪んだ愛。『ツイン・ピークス』の失われた愛。『マルホランド・ドライブ』(2001)の妄想的な愛。そして『ストレイト・ストーリー』の、最もシンプルで、最も困難な愛。兄弟愛。

アルヴィンは、10年間憎み合った兄に会うために、73歳の身体で400キロを移動する。なぜか? 答えは映画の中で語られない。ただ一つ、アルヴィンが道中で語る言葉がある。「兄弟は、束ねれば決して折れない棒のようなものだ」。

この比喩は、単純だ。しかし単純だからこそ、普遍的だ。リンチは、複雑な心理分析や感傷的な和解シーンを拒否する。代わりに彼は、時速8キロで進む芝创り機を撮る。ただそれだけで、愛を表現する。

『ストレイト・ストーリー』は、リンチが到達した境地だ。暴力を使わずに暴力を表現し、言葉を使わずに愛を語り、速度を落とすことで時間を取り戻す。この映画を見た後、我々は世界を違う速度で見るようになる。時速8キロで。そしてその速度でこそ、見えるものがある。兄の顔、娘の涙、流れ星。これらすべてが、人生だ。リンチが25年かけて辿り着いた、最も静かで、最も強烈な真実だ。

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