
児山隆監督の『万事快調〈オール・グリーンズ〉』(2026年)は、当時21歳の大学生・波木銅が第28回松本清張賞を満場一致で受賞した青春小説の映画化である。しかし、これは通常の青春映画ではない。茨城県東海村を舞台に、工業高校に通う女子高生たちが学校の屋上で大麻を栽培し一獲千金を狙うという、禁断の課外活動を描いたクライム映画である。タイトルは皮肉に満ちている。「万事快調」とは名ばかりで、登場人物たちの日々は万事不調そのものだ。未来の見えない田舎町で鬱屈とした日々を送る彼女たちにとって、この犯罪計画は現状を変えるための唯一の選択肢なのである。
三人の女子高生という構図
主人公は三人の女子高生である。ラッパーを夢見ながらも学校にも家にも居場所を見いだせない在日四世の朴秀美(南沙良)。MCネームは「ニューロマンサー」。陸上部のエースで社交的、スクールカースト上位に属しながらも家庭に問題を抱える映画好きの矢口美流紅(出口夏希)。そして大好きな漫画を自己形成の拠り所としている、斜に構えた毒舌キャラ・岩隈真子(吉田美月喜)。
原作では工業高校機械科2年A組にわずか3人しかいない女子生徒として描かれる彼女たちは、特につるんでいるわけではない。美流紅はスクールカースト上位の連中と楽しく談笑し、教室の隅っこで秀美と真子は、はみ出されたもの同士で肩を並べる程度の仲である。この三人が結束するきっかけは、秀美が地元のラッパー佐藤(金子大地)の家で大麻を手に入れたことだった。

オフビートな文体と映画的リズム
原作の波木銅は、ユーモラスでオフビートな文体が特徴である。この独特のリズムを児山隆がどのように映像化したかが、本作の最大の関心事だろう。児山は『猿楽町で会いましょう』で写真家志望と読者モデルの儚い恋愛を描いた監督であり、本作では前作とは全く異なるアプローチに挑んでいる。
監督自身のコメントが示唆的である。「思い返してみると、僕にはいわゆる『映画みたいな青春』はなかったと思う」と彼は語る。教室の隅っこで漫画やアニメ、映画や音楽にばかりふれていた。それらの中にしか居場所がなかった。この告白は、本作の核心を突いている。『万事快調』は、青春時代がただ過ぎ去っていくことを指を咥えて見ていることしかできなかった男が監督した青春映画なのである。
あの頃好きだったもの、逃げ込んでいたもの、救われていたもの、全部詰め込んだ。その結果生まれたのは、カルチャー全般への愛と偏愛に満ちた作品である。舞台を東海村にしたこと、ラップネームを「ニューロマンサー」にしたこと(原発とウィリアム・ギブスンのSF小説との関係)、出てくる文庫本を本好きをニヤリとさせるラインナップにしたこと。すべてが計算されている。
ゴダールの影と皮肉なタイトル
タイトルの「万事快調」は、ジャン=リュック・ゴダールとジャン=ピエール・ゴランの1972年の政治映画『Tout va bien』(邦題:万事快調)から取られている。脱・商業を掲げたゴダールの作品で、ストライキやスーパーマーケットでの暴動を描いたこの映画は、うまくいかない闘争の記録である。秀美が美流紅と共にミニシアターでこの作品を観る場面があり、彼女は「どこが『万事快調』なのか」と評する。
この引用は、本作のメインテーマを暗示している。今はうまくいっているように思えても、どの道ろくな未来が待っていない。彼女たちの犯罪計画もまた、「万事快調」などではない。それは絶望からの衝動的な行動であり、成功の見込みは薄い。しかし、何もしないよりはましだ。

家族という牢獄
三人それぞれが家庭に問題を抱えている。DVの親、何かを信じてしまった親。彼女たちにとって家族は安全な場所ではなく、むしろ逃げ出すべき牢獄である。美流紅の母親は幼児退行しており、美流紅が稼いだ300万円を燃やしてしまう。秀美の家族関係はぎこちなく、修復の兆しが見えてもまだ不安定だ。真子は毒舌で後輩をやり込めてしまい、その後悔を抱えている。
しかし、児山隆は彼女たちを単純な被害者としては描かない。ボウリング場で秀美と真子が出くわし、「万事快調!」と言い合って短くふざけあって笑う場面がある。もうそれ友達じゃん、と観客は思う。ドライな関係性のように見えて、確実に何かが芽生えている。彼女たちは孤独ではない。
結末の残酷な希望
物語の結末は、コメディとバイオレンスを足して2で割ったようなクライマックスを経て、楽観的とは言えないものになる。大麻ハウスが燃え、学校側に何もかも露見する可能性が高い。彼女たちが手にしたのは一人300万円のみ(美流紅の分は母親に燃やされてゼロ)。種子を保存して次世代に活動を引き継ごうという計画も台無しである。
どう考えても、どうしようもない未来が待っている。しかし、犯罪が完璧にうまくいくよりは印象に残り、凋落まで描かれるよりは希望が持てる。これがベストな終わり方なのではないか、と原作の読者は評している。なんとなく、この三人は転んでもただでは起きないような気がする。特に秀美は、ラッパーとして本番はこれからだろう。

児山隆の青春への複雑な眼差し
結論として、『万事快調〈オール・グリーンズ〉』は、青春を外側から眺めていた者が作った青春映画である。それは美化でも告発でもなく、ある種の和解の試みである。監督は最後にこう述べている。「そうか、自分にもちゃんと青春があったんだ。それはきっとこの映画を撮るための」。
この映画は、未来を選べない若者たちが自らの手で未来を奪おうともがく物語である。それは無謀で危険で、おそらく失敗に終わる。しかし、彼女たちは少なくとも行動した。教室の隅っこから反撃を試みた。その不器用さと危なっかしさと真っ直ぐさが、なんだかすごく愛おしい。この映画は同世代の観客に強く刺さっている。彼女たちと同じ年齢で観たら一生刺さって離れない映画になるだろう、という評価は的確だ。気の合うところも痛いところもアホなところも、全部ちょっとずつ自分の一部に思える。観ていて恥ずかしいのだ。それこそが、この映画の最大の成功である。


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