【第3048回】第99回キネマ旬報ベスト・テン 『旅と日々』と『国宝』が示す日本映画の二極化

コラム
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2025年1月29日、第99回キネマ旬報ベスト・テンの発表が行われた。日本映画作品賞(日本映画ベスト・テン第1位)は三宅唱監督の『旅と日々』、外国映画作品賞はポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』が受賞した。個人賞では、日本映画監督賞と日本映画脚本賞を李相日監督と奥寺佐渡子が『国宝』で受賞し、主演男優賞は吉沢亮が『国宝』ほかにより受賞した。

このランキングは、日本映画界の現在を象徴する興味深い結果となった。特に注目すべきは、『旅と日々』が作品賞第1位を獲得しながら、興行収入181億円を記録した『国宝』が監督賞・脚本賞・主演男優賞を独占したことである。この対照的な結果は、日本映画界が抱える深刻な分断を浮き彫りにしている。

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『旅と日々』の作品賞受賞が意味するもの 三宅唱、3作連続No.1で巨匠の域へ

三宅唱監督の『旅と日々』は、わずか89分という短い上映時間ながら、日常の断片を積み重ねていく作品である。主演女優賞を受賞したシム・ウンギョンは「この作品と奇跡的に出会えただけでも幸せなのに、受賞まですることができて本当に嬉しいです。『旅と日々』で見られる三宅唱監督の世界観に、世界中の皆さんもきっと魅了されるのではないかと思います」とコメントしている。

三宅唱は、『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)、『夜明けのすべて』(2024年)に続き、本作で3作連続でキネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得した。40代前半にして、この快挙を成し遂げた三宅唱は、遂に巨匠の域に達しつつあると言える。彼の作品は、物語よりも「時間」を描くことに重点を置いている。セリフは最小限に抑えられ、登場人物の表情や仕草、そして沈黙が、雄弁に何かを語る。この手法は、小津安二郎や成瀬巳喜男といった戦後日本映画の巨匠たちの系譜に連なるものである。

3作連続でキネマ旬報ベスト・テン第1位を獲得したことは、三宅唱という作家が、日本映画界において確固たる地位を築いたことを意味する。彼の映画言語は、もはや一部の批評家だけが評価するものではなく、日本映画の「正統」として認められたのである。

『国宝』の監督賞・脚本賞受賞という矛盾

一方、李相日監督の『国宝』は、日本映画監督賞と日本映画脚本賞(奥寺佐渡子)、そして主演男優賞(吉沢亮)を受賞した。吉沢亮は「1年半の稽古期間のあと、李(相日)監督の渾身の演出のもとで3カ月間、精神をぎりぎりまですり減らしながらの撮影でした。本当に現場の皆様に支えてもらいながら、どうにかまっとうできた役なので、このような最高の形で報われたことを本当にありがたく思います」とコメントしている。

『国宝』は、興行収入181億円、観客動員1286万人を記録し、邦画実写史上最高の記録を樹立した。第49回日本アカデミー賞では正賞12部門16賞を受賞し、第98回米アカデミー賞では国際長編映画賞とメイク&ヘアスタイリング賞の2部門でショートリスト入りを果たした。

しかし、キネマ旬報ベスト・テンでは、『国宝』は作品賞第1位にはならなかった。これは、極めて興味深い結果である。なぜなら、監督賞と脚本賞を受賞した作品が、作品賞第1位にならないというのは、論理的に矛盾しているからだ。

監督賞と脚本賞は、作品の中核を成す要素である。監督が優れており、脚本が優れているならば、その作品は作品賞第1位になるべきではないか。しかし、キネマ旬報の選考委員たちは、そう判断しなかった。この判断の背後には、おそらく「商業的に成功しすぎた作品を第1位にすることへの抵抗」があるのだろう。

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キネマ旬報という「平均値」の権威

キネマ旬報ベスト・テンの選考結果を理解するには、この賞が持つ独特の性質を理解する必要がある。キネマ旬報は、『映画芸術』のような逆張りや保守性とは異なる。むしろ、キネマ旬報は「平均値」である。

選考委員は、映画批評家、映画監督、脚本家、プロデューサー、劇場スタッフなど、映画業界の多様な立場の人々で構成されている。その投票結果は、極端な意見ではなく、業界全体の「平均的な評価」を反映する。だからこそ、キネマ旬報ベスト・テンは、日本で最も権威のある映画賞としての地位を保ち続けている。

『映画芸術』が『国宝』をワースト1位に選び、編集発行人・荒井晴彦監督の『星と月は天の穴』をベスト1位に選ぶような露骨な対立構造を作るのに対し、キネマ旬報は、そのようなハレーションを起こさない。『国宝』に対しても、監督賞、脚本賞、主演男優賞という形で評価を与えている。これは、作品を全否定するのではなく、その優れた要素を認めるという、極めて穏健なアプローチである。

しかし、この穏健さは、同時に曖昧さでもある。『国宝』が監督賞と脚本賞を受賞しながら、作品賞第1位にならないという結果は、論理的には矛盾している。しかし、キネマ旬報はこの矛盾を恐れない。なぜなら、それが「平均値」だからだ。

選考委員の中には、『国宝』を高く評価する人もいれば、『旅と日々』を高く評価する人もいる。その結果、作品賞は『旅と日々』に、個人賞は『国宝』に分散した。これは、民主的なプロセスの帰結である。誰も傷つかず、誰もが納得できる結果。それが、キネマ旬報という「平均値」の本質である。

『国宝』への評価 拒絶ではなく、留保

『国宝』に対するキネマ旬報の態度は、『映画芸術』のような拒絶ではない。むしろ、それは留保である。

李相日監督の日本映画監督賞受賞、奥寺佐渡子の日本映画脚本賞受賞、吉沢亮の主演男優賞受賞。これらはすべて、『国宝』という作品の優れた要素を認めていることを示している。さらに、読者選出日本映画監督賞でも李相日が受賞している。これは、一般読者もまた、『国宝』を高く評価していることを意味する。

にもかかわらず、作品賞第1位にならなかった。この結果をどう解釈すべきか。

一つの解釈は、選考委員たちが「商業的成功」と「芸術的価値」を完全には一致させられなかった、というものである。181億円という興行収入は、確かに驚異的である。しかし、その数字が示すのは、「大衆の支持」であって、必ずしも「批評家の支持」ではない。選考委員たちは、『国宝』の技術的な卓越性を認めつつも、作品全体としての「何か」が、『旅と日々』には及ばないと判断したのだろう。

もう一つの解釈は、三宅唱という作家への信頼である。3作連続でベスト・テン第1位を獲得した三宅唱は、もはや「保証された作家」である。彼の作品を第1位に選ぶことは、安全な選択である。一方、『国宝』を第1位に選ぶことは、ある種のリスクを伴う。なぜなら、それは「商業主義への迎合」と見られる可能性があるからだ。

キネマ旬報は、そのリスクを避けた。しかし、それは『映画芸術』のような「流行った映画をこき下ろす」という姿勢ではない。むしろ、「流行った映画も評価するが、第1位には選ばない」という、極めて日本的な曖昧さである。誰も傷つけず、誰もが納得できる結果。それが、キネマ旬報という「平均値」の選択である。

主演女優賞シム・ウンギョンと助演女優賞伊東蒼 「さっちゃん」という衝撃

個人賞では、主演女優賞をシム・ウンギョンが『旅と日々』で受賞し、助演女優賞を伊東蒼が『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』で受賞した。主演男優賞は吉沢亮、助演男優賞は佐藤二朗が『爆弾』ほかにより受賞した。

シム・ウンギョンの受賞は、妥当である。彼女の演技は、言葉よりも表情で多くを語る。三宅唱監督の演出と完璧に調和している。一方、伊東蒼の助演女優賞受賞は、単なる「若手女優への期待」という言葉では収まらない、日本映画の歴史の中でも突出した演技への評価である。

『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』で伊東蒼が演じた「さっちゃん」というキャラクターは、2025年の日本映画界において、最も議論を呼んだ存在となった。昨年ほど、酒飲みの席で「さっちゃん」の名前が討論の議題に上がったことはない。バイト仲間として主人公の周辺に存在するだけの脇役でありながら、その圧倒的な存在感は、ある意味でヒロインの河合優実を食うような活躍ぶりだった。

伊東蒼の演技は、計算されているようでいて、極めて自然である。彼女が画面に現れるだけで、空気が変わる。セリフの一つ一つが、記憶に残る。「さっちゃん」というキャラクターは、物語の中心にいるわけではない。しかし、観客の心に最も深く刻まれる。この不思議な力は、伊東蒼という女優の才能の証である。

助演女優賞という賞は、しばしば「脇役への慰労」として機能することがある。しかし、伊東蒼の受賞は、そのような性質のものではない。彼女の演技は、主演女優賞に値するほどの力を持っている。ただし、それが「助演」という枠組みの中で発揮されたからこそ、その輝きは一層際立った。

主演男優賞の吉沢亮と、助演男優賞の佐藤二朗の受賞は、ある種の「バランス取り」を感じさせる。吉沢亮は『国宝』で圧倒的な演技を見せたし、この結果には納得である。佐藤二朗の受賞も、彼の演技のうるささには目を瞑るとしても、『爆弾』という作品がどれほど評価されたのかは疑問である。

新人賞と文化映画作品賞

新人女優賞は鈴木唯が『ルノワール』で、新人男優賞は黒崎煌代が『見はらし世代』ほかにより受賞した。文化映画作品賞は『よみがえる声』(朴壽南・朴麻衣監督)が受賞した。

『よみがえる声』は、在日朝鮮人の歴史を描いたドキュメンタリーである。この作品が文化映画作品賞を受賞したことは、重要である。なぜなら、それは、日本映画界が歴史と向き合おうとしていることを示しているからだ。

しかし、同時に、この受賞もまた、ある種の「政治的正しさ」を感じさせる。在日朝鮮人の歴史を描いた作品を評価することは、批評家たちにとって「安全」である。それは、誰も批判できないテーマだからだ。

結論 日本映画界の分断をどう乗り越えるか

第99回キネマ旬報ベスト・テンの結果は、日本映画界の深刻な分断を浮き彫りにした。『旅と日々』のような芸術的な作品と、『国宝』のような商業的に成功した作品。この二つを対立させる構図は、もはや時代遅れである。

映画批評は、もっと開かれたものであるべきだ。商業的成功と芸術的価値は、必ずしも対立するものではない。むしろ、両者を兼ね備えた作品こそが、真に優れた作品である可能性がある。

キネマ旬報は、日本で最も権威のある映画雑誌である。その選考結果は、映画界に大きな影響を与える。だからこそ、キネマ旬報には、「逆張り」ではなく、真に優れた作品を評価する勇気が求められる。『国宝』と『旅と日々』の間で揺れ動いた2025年だったが、2025年の日本映画は断じてそれだけではなかったはずだ。

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